提供された資料
上地学区まちものがたりの作成の資料として、学区及び関係者の方から提供をいただきました資料(写真)をホームページで紹介をします。
岳井の一本杉
上地町字岳井7番地(現在の上地2丁目)に、樹齢300年を超える杉の木があったそうです。
樹齢300年で、枯れそうになっていたことから、土地区画整理事業で、昭和58年2月28日に伐採され一本杉の幹の先端部が、上地第一公民館(上地八幡宮境内地内)の2階に案内板とともに保存されています。上地八幡宮にお参りの際に一度見てみてはいかがですか。
また、この一本杉には、白い蛇が住みついていたとのことです。
こうした経緯は、「ふるさと上地」の87ページに「樹齢300年の一本杉を訪ねて」で詳細に紹介されています。また、一本杉の白へびを題材として創作童話「ふしぎな白へび」(「ふるさと上地5」)や「りゆうとてんぐの力くらべ」(「ふるさと上地」)がありますので、ぜひお読みください。
上地第一公民館に保存されている岳井の一本杉
昭和58年2月28日に伐採され、土区画整理組合の役員の皆さんのご尽力により保存がされている一本杉です。
横に、一本杉の説明文があります。
幹の下の台座は、一本杉の根元の方なんでしょうか。
一本杉の説明札
岳井の一本杉のあった場所
東若松町(若松東)の町内会の誕生
現若松東町内会は、岡崎学区の若松栄一丁目町内会の一部でしたが、若松土地区画整理事業の進展により新しい住宅が建設され戸数が49戸に増加したことから、昭和52年度末に新町内会として独立することとし、昭和53年3月19日に新町内会創立総会を荒薙神社において開催し、東若松町内会が創立されました。
東若松町内会は、昭和54年6月に若松東町内会への名称変更しました。
荒薙神社の掲げられた新町創立総会の看板
町内には、総会を実施できる会場がなかったため荒薙神社で総会は行われました。
創立総会の式次第
創立総会であいさつをする新町の関係者
埋め立てられた奥山田池
若松と上地の境界にある奥山田池は、昭和50年台始めに上地の土地区画整理事業によって約3分の1位が埋め立てられました。
奥山田池は、若松町地区の灌漑用水ですので、奥山田池を埋め立てることは水田の水確保に大きな問題となりました。若松町地区の理解を得て土地区画整理事業が進められました。
この経緯は、上地第二土地区画整理事業の記録に役員の苦労話として語られています。是非、皆さんも読んでみませんか。
埋め立て前の奥山田池
奥山田池の奥の3分の1が埋め立てられました。
今、総合学習センター西の道路は奥山田池の上に構築されました。
奥山田池を埋め立て道路を築造
土地区画整理が終わって整然とする若松東から、上地の山(旧岡崎勤労福祉会館)に向かって、奥山田池を埋め立て道路が築造されました。
勤労福祉会館辺りから市営若松住宅を望む
奥山田池の池尻(写真左下)とみられる湖面がみえます。
また、右上には、昭和49年から51年の3カ年間で、6棟が建設され完成した市営若松住宅がみえます。
上2枚目の写真は、下の地図のマークのところです。